工藤紀子さん

取材当時26歳の工藤さんは吉田さん・花坂さんと同じくNPO法人六郷七郷コミネットにて勤務。ご出身は秋田県ですが、仙台が「大好き」だそうです。

1.将来は復興関係の仕事よりも・・・

Q. 先ほどこう、仙台に今後もいらっしゃって、ずっと住んでいかれるみたいなことおっしゃってましたけども、やっぱりこう、あれですか、外にでていくとか、秋田に戻るとかいうことよりも、仙台で、復興といったものに関係して進んで行きたいって言う気持ちですか。

A. あーでもそこはちょっとあの、もう復興関係の仕事はもうやめようかな、ここで終わろうかな、という風に考えていて、んー。やっぱりこう、ふっこうっていずれは終わるじゃないですか・・すいませんまたちょっとだめなこと言うかもしれないんですけど、(笑)、復興って、絶対途中で、途中じゃないですね、復興するので、ずっとその仕事で食べて行けるわけじゃないじゃないですか、一人暮らしっていうのがあるので、ちゃんと安定した仕事に就きたいっていうのが本音ですね、はい。

Q. 仙台を拠点に、なにかそういった仕事を見つけて・・・

A. そうですね、はい

2.町と沿岸部の、震災への見方の違い

心境の変化、そうですね、震災のときはですね、震災からその、前の職場に行ったとき、その介護関係の職場にいたときは、こう、街中だったんですよ。ほんとに駅前とかすごい町の方で、震災、地震があったって感じじゃないんですよ、なんかもう昔の話って感じで、なので、私自身もそんな状態で、でもみんなもう震災から立ち直ってるんだくらいの、震災の話も出てこないし、全然こう、考える事もなくなってたんですけど、やっぱり仮設の管理人を通して、全然こう復興してないなっていう。みんなそのいつも私が出勤すると、復興公営住宅がどうのとか、その、お父さん津波で亡くなったよねっていうそういう話は絶対出てくるんですよ。だから、あーなんかmzんぜんちがうんだなってやっぱり、現場って言うか、その、ね。やっぱりあk説の方と町の方では感覚が全然違ったって言うのが目の当たりになって、ありました。ちょっとびっくりしちゃいましたね。

3.震災後、家族関係の変化

Q. まあその、そういった感じで結局被災された若者自体もご家族との関係が変わったと思うんですけれども、工藤さん自身もやっぱり3.11後なにかかわりましたか、ご家族との関係とか、もっと連絡とるようになったとか・・・

A. あーそうですね、連絡は結構頻繁にとってるんですけど、話題はやっぱりもうこういう仕事についてるので、震災関連の話が多くなって、でやっぱり親もそっちのほうに興味をもつようなって、こんどきたときちょっと沿岸部行ってみようかなーなんていうはなしがでたりだとか。で、まあ秋田も以前ちょっと震災があって、津波が来たことがあったんですよ。で、そこに実際連れてってもらったりっていうのはありましたね、はい

Q. じゃあご家族の中でも今までとは違った部分もお互い共有しようよみたいな・・・

A. そうですね、はい。今までだったらたぶんこの震災関連の仕事してなかったらそこまで震災の話なんてしなかったでしょうし、こう、ふーんてかんじでテレビ見てても何も、両親・・両親は思ってるのかもしれないですけど、私はふーんていう程度で、(笑)はい。その程度なんですけど、やっぱり今はこういう状況なんで、話題にはありますね。