東北学院大学2年生の尾形さんは、地元・気仙沼で自宅を流されてしまいました。愛する地元・気仙沼市のため、震災以前以後変わらず地元で活動されています。
1.被災直後・周りとの被災状況の違い
すごい戻っちゃうんですけど、私震災の時高校2年生から3年生になる時だったんですけども、被災した時に、気仙沼も被災地っていうあれがあるんですけども、けど周り被災してる子少なくて、家も亡くなってっていう気持ちを全然わかってもらえなくて、友達に。っていうところもすごい悔しくて。だから周りはみんな何気ない会話をするんですよ。それがみんな持っていないものの話やもうなくなってしまったものの話で、すごいつらかったですね。気仙沼より被災した人って少ないっていうか、なんですけど、すごい被災した人と全然何もなかった人がいて、そういうところもまああったし、私もそうしてあの時はつらい思いをしたんですけど、私自身もだんだん気持ちがいってしまっていてそれが怖くて、周りに広めないとと思いながら・・・
2.気仙沼を「観光」するということ
Q. 最初の方にこう、気仙沼の観光のほうで お手伝いしたりとかいうはなしがあったんですけど、その観光で来てる人たちに関してなにか思うことってありますか?どちらかっていうと現地を見てもらいたいっていうのもあれば、そういった気持ちできてるのかなっていう、視察でちゃんときてるのか、ちょっと浮かれた気分できてるのか・・・
A. それはそれで、どんな気持ちでも来てもらってもいいと思ってるんですよ。来ていただくってことが大事だと思うので、でもなんかすごいいいとこだったよとか、これはこうだったよっていうのを持ち帰ってほしくて、持ち帰ってメディアだとかではわかんないところを持ち帰ってほしいなって・・・
Q. さっきからきいておもったんですけど、一番簡単かもしれないんですけどその、伝えてくっていうことが大切ってことですかね
A. と思いますよ。そのシンボルだった船も無くなってしまったので、今後どうやって残していけばいいんだろうていうのは・・・
3.気仙沼: 一度来るとみんな好きになる
Q. いまあのボランティアに色々な人が来てくれてありがたいっておっしゃってましたけど、いまいろんな方に話を聞いた中で、ボランティアが最初はありがたいんだけどだんだんちょっと、なんだろ、しつこいっていうかたもいらっしゃったんですよ。そういう風に思った事って・・・
A. そういうふうに思ったことは一度もなくて、みなさん一度気仙沼に来て下さると気仙沼みんな好きになるんですよ。よくきいてすごいうれしくなるんですけど、ていうのも、最初は皆さんボランティアとして観光でとかでくるんですけど、その後その地域の人と継続的にかかわるなかでのちのちは個人的に来るようになるんですよ。なので全然。だからボランティアありがたいなと思っていて、なかよくなってふつうに親戚みたいに仲良くなって、お友達みたいになってくので、全然いいと思いますね。
Q. そういう方は若い方もいらっしゃるんですか
A. 若い方もいらっしゃいますね。気仙沼自体はほんとになにもないんですけど、人が温かいからまた行きたいって・・・