佐藤 英介さん

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佐藤さんは社会福祉法人楽寿荘の統括事務長です。震災直後、屋内退避地域との境界地域で物資のない中、高齢者施設の運営を継続しました。施設建物直前まで津波が押し寄せた時には、入所者を避難させました。


福島県と宮城県岩手県との違いについて
放射能の被害と津波の被害について

「まーね考えてみたら放射能の問題さえなければ…だから宮城県とか岩手県の方の災害も大変だと思うけど…一点ねそれだけの問題に対して福島県は放射能のかかってるんでね。2重にこう、避難を被害を受けた人と放射能だけの人と2通り分かれているんですね、福島県の人はね。放射能だけで逃げた人と津波の人とそれから津波と両方やられた人。で津波と両方やられた人は逃げた人と同じ、その帰れない地区は同じ扱いになるとは思うんだけども、でもやっぱり皆温度差があるから大変だと思いますね」

放射能、援助、除染

「これ広げてみてください。
ちょうど37キロなんですここ。で30キロ圏までは色々恩恵があるんですけどもその隣は全く、全くないんです、わたしらの所。直線で37キロなんです。今でもその窓際に出すと0.6−0.7マイクロシーベルトくらいあるかな。でそこの桜の木の下の根っこあたりはしたにおろすと1.3マイクロシーベルトくらい。今でも。で、除染をする予定ではあるらしいんですけど、建物関係は全部除染しちゃったんで、自分らで。高圧除染で、もう最初の頃に。その頃はね、屋上の雨水の先の落ちくずね、あのあたりで10.0越えるくらいの濃度はあったんですよね。ですからこの辺の松林はたぶんあると思うんですよ。逃げるところがないんで、多分放射性物質が付着して。松の葉っぱでもなんでも落ちちゃうでしょ?その辺が残ってるんでね、まだね、だから37キロ、こういう感じでとんだみたいですね。」

コミュニティー、避難所、仮設

「で現実にいわき市の行政区域からみた時はみなさん全部一緒になって、こうグループグループになって各町にね。ですから同じ仮設になって、ここは(一つの仮設は)大隈町、ここは、、、町、そしてここはいわき市の津波で家なくなった人たちって、同じグループの中でこうやって分かれてるんですね。ようはみんなバラバラに入ってるでしょ?だからそれぞれの付き合いが出てもそれぞれも直接、点と点の繋がりしかないから。」

施設職員

「これどこの施設も困ったんだけども、職員いなくなっちゃって。残って一生懸命やっている人と、どうしよっかって事になったんですよね。かたっぽペナルティーでかたっぽご褒美やんなきゃなんないのかって。そういう風にこう人を区別しちゃうと来づらくなるんじゃないかとか、そのあと職員同士で感情的におかしくなるんじゃないかっていう。なった施設が結構あったんですよ。わたしんとこ結果的に何もなかったんですけど。最終的に500万使ったんですけど、ようするに2週間毎日いた人には25万あげましょうと。で、今度ペナルティーの方はどうしようかって考えた時に、給料を下げるとかいろんな事やった施設もあると思うんですけれども、給料を下げたままだと一生ついてくと相当なマイナスになるじゃないですか。なんで、一回でいいだろうと。じゃあ賞与をカットしようと。で賞与をカットするのもいっぺんにカットすると大変だから、2回に分けてカットしようと。できるだけ負担がかからないように。だって本来はみんないなきゃなんないのに、家族の関係でみんな逃げたっていう人が多いんですよね。家族がいるからお前も一緒に来いっていう事で一緒に行ったんだけども家族を置いて戻ってきたっていう、そういうケースが多かったんですね。まあ、そういう事で一応ペナルティーとご褒美あげたけれどもそういうトラブルは私の施設ではなんもなかったですね。いさかいも何にも。他の施設では結構あったみたいです。でいずらくなって辞めた人もいるって。」

政治、風化、福島県と他の都道府県

「だったら当たり前だって。忘れられたって当たりまえじゃないのって。私もそう思うんだよね。本当にそうだったらそういう意思表示をしなきゃなんないからね。東京だってもう放射能そんなに響かないでしょ? 私は日常茶飯事だから。原発だって誰も信用してないですから。わたしらは。あのいちいち発表しててもみんなうそだろうって。後から後から。 まえから話聞いてたのが後から出てくるから。ひどいはなし。」

原発事故後のいわき市

「40年、60年くらいかかるなんて言われてるから。いま ものすごいですよ、いわき市。他県ナンバーがものすごくて。それから飲み屋もゴチャゴチャしてるし。朝になるとワーって双葉郡に行って、夕方になるとワーって戻ってくる。これが何十年も続いてるって言うんで、みんあうーんなんて思ってるけど。でそういう人と避難して来てる人とみんなごちゃ混ぜになってるんで。ここがね。そんなの東京の人分かんないでしょそんな。多分、私はここ、こういう恩恵がなくなったときあなたら注目して見てた方が良いと思うよ。なくなった時避難してた人たちがどういう動きするかって事だと思います。

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