越田 征男

越田さんは仮設商店街で自動車店舗を構えていると同時に仮設団地のリーダーとしてもご活躍されています。大槌町を出るか出ないか悩みましたが、結局町に戻ってきた方が多かったそうです。仮設住宅で気持ちが落ち込んだままの人たちや大槌が抱えている問題などを教えてくれました。

お年寄りにすると、ね。ウチの息子は元々、今いう千葉の方で働いてるとか、どこで働いてると。もう、流されたし。今から、ね、死ぬまで生活するための貯めた金が銀行の口座にあるけども、これから家を作って暮らすったって。家は建てられたって、暮らすのは何年かで終わりだべと。そうしたっけその残った家は息子や娘たちが帰ってくるかとかわかんねぇもん。黙って、息子や娘たちの方へ、お世話になろうかと。で、(仮設を)出てる人達もある。
早々とそうした人もいるのよ。その人達が逆に戻って来てんだよ今度。やっぱり一緒の生活はできなかったって。それが今、今、今の現状ですわ。

ですから、話が、飛ぶような話に聞こえるかもしんねぇけども、この仮設の中で出入りがあってんだ。ただ若い人達は帰って来ないけどな。じゃあその、そういった状況の町づくりをどうしたらいいかとなると、こりゃえれぇ人が任せるかわかんねぇけど、それ程ええ頭があんだかねぇんだかよく分かんねぇが。どうしたらええんだべがっていうのが本当だと思うよ。

先ほど言ったじゃないですか、その、仮設の隣の人と交流がなかなかなくて、

うん、それは自分のね、その3月11日のその癒しにはなるわ。で、自分が生きてるっていうのんの、寂しさの加点ね、紛らす加点には若干なるでしょう。お互いに傷をなめ合ってるだけな訳よ。先がわからねぇもん。ただ分かっている事は、ある程度のお年の人は、先はあっちへ行くんだろうなと。

鬱なる人ってつうのは、あのね、ちょっとこっちくれが足んないぐらいの人がならねぇんだって。真剣に考える人がなるんだって。だから俺もなるかもしんない(笑)
だからそれがね、そういう状態が今のことろはね、みんなそうだと思ってる。

先輩各にはあたる、ね、こちらの方の近くのね。阪神大震災になるものがあった。北海道でもあったよう、ね。どんな風に解決していったのかなぁ。というとこが今我々が、ね。その、そっちの話は過去かもしれないけど、それ逆に辿っていかないといけないのかなと。そして良かった面、良かった面を精査しながら町づくりをしてかねば。