会見
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中嶋 幹夫

中嶋さんは釜石で生まれ育ち、その後大槌町の市役所近くに家を建てた。釜石も大槌町のどちらも自分の故郷だと語る中嶋さん。大槌町の好きなところや町の未来について語ってくれました。

地震が起きても津波が来るっつ事は頭で分かってても。今ほら、あの、堤防ね。防潮堤って言うんだけどね。波除けだとか、津波が来たとき除ける。そういうのがあるがらね、人の安心感はあるんだけども。ところがほら、そういうのあって、それに頼り切ってしまう訳ね。堤防あるから大丈夫だろうと、少々波が来ても大丈夫だろうとかね。そういうほら、あの、やっぱりあの、お年寄りが結構いるからね。だからそういう人達はどっちかっていえばね、逃げる、避難するのが大変なのね。
だから今度は車で逃げないで、そういう津波なんかの場合、徒歩で逃げなさいっていうようにはなってんだけども。やっぱりそういう高齢者だとか、なかなか不自由な人が多いとことか、そうなるとね、車で逃げざるを得ないんだよね。堤防っていうかその防潮堤はね、今度はうんと高くなる。14.5ぐらい、そのぐらいの高い防潮堤が、を作るつもりなんだけどもね。まあ、いい面もあるし悪い面もある。今度は海がまったく見えないから。
だから、我々こういう風に津波にあってね、ああ津波ってこういうもんだっつって分かってるから、だからいいんだけども。これから段々ね、一年一年って経ってくるとそれが風化してしまう恐れがあるね。津波の、こういう津波があったよーっていうのはね忘れないようにはしないとね。

避難するっつう事がね、大事だよっていう事が分かってても、逃げなかった人達がいっぱいいるからね。それでももろにも津波で、2階にいれば大丈夫だとかそういうようなほら。避難しても寒かったからね。寒かったから上着も何か、財布とかさ、色々ほら、それぞれの事情がいっぱいあるからだけど。避難から戻った人達はもうもろに。あと、2階で大丈夫だろうなと思って2階にいた人ももうすっかり、ね。

大槌の場合ね、犠牲者が多かったからね。だからこういう点もね、もうすこし防災、避難するという事をまずね。あれだって色々、逃げるためには大変な事もあったと思う、でもやっぱり大きな津波っていうばなんだけど、どんな津波の時でもね、やっぱり避難すると。そういうね、あれが大事なんですよね。これが徹底されてればこのぐらいの犠牲者は出なかった。

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