阿部 由貴子

阿部由貴子さんは100周年を迎えようとしている割烹滝川の若女将として勤めている。震災を機に女将として母親から継いだ阿部さんは2児の母でもあります。震災当時はママ友やいろんな方から支えられた阿部さんは子供たちの事や信頼できる仲間についてお話していただきました。

割烹 滝川~石巻の旬の味

でもうちの子達。割と強いっていう訳ではないんですけど。あのう、仕事の状況を分かってるのか、特に上の子は3年生、4年生。まあ2、3、4ですね。だった、2年生で被災して3年生がうちにあって、今が4年生なんですけど。あんまり泣き事言わなくて。むしろ手伝ってくれた事が多くて。
あの、ちょっとスタッフ足りなかった時とか、手伝いに来てって言って。ああのう、お小遣いあげるからって言って手伝ってもらったり。うん。でそれを、そのお姉ちゃんを見ててか下の子も、まあ初めは本当に離れなかったりしたんですけど今回運動会も見に行けなかったけど、何で見に来れなかったの、とかそういう事は全然なくって。だからそういう点では子供達に助けられて。あたしだけが、なんか可愛そうなんじゃないかとか。なんか、辛い想いしてんじゃないかとか思ってるんですけど、子供達の方が以外とその状況を楽しんでくれてるっていうか。その分あのう、休みの日にはガッツリ遊んだり。あとなるべく朝はお話をしたり。とにかく会話をするようにしてるので。あとこう、抱きしめたりとかしてるので。ううん、以外と思ったよりは彼らの方が落ち着いてる(笑)そこはすごい助け、うん。で、こう、今でも娘とかに滝川なくなって不安じゃない、とか。だったまたやればいいじゃん、みたいな。どこでもできるじゃん、みたいな(笑)感じなので。ううん。ですね。うん。

あのベンチャークラブって言って、あのう国際ソロプチミストっていう会があるんですけど、その親会なんですが、その方々が作ったまあ、ような、20歳30歳、40代の女性が、あっ働く女性のボランティア団体だったのですね。で石巻は13名いるんですけどやっぱり色んな職業の方が集まって。でもやっぱりそのメンバーの中でもやっぱりあのう、メンバー達では色々情報交換したり、物々交換したりとか、やっぱりそういうのはありましたね。でも13人中、そうですね全員被災してましたので。みんなそれぞれ家の事が大変だったので、その後はいっ、2回ぐらい集まったんですけどやっぱり全員は揃えなくて。やっぱり被災してひどい人は仙台に引っ越しちゃってるのが何人かいましたので、うん。

でもねベンチャーのメンバーも本当に明るい人達だったので。その震災で困った事をみんななんだろう、こう言ってはすごい変なんだけど、笑いに変えていくっていうか(笑)うんうん、そういう事もすごくあったから、その気分の、その話してるうちにどんどんどんどん落ち込むよりはむしろ、うわああそういう事もあったよねって感じでこう、気持ちがどっちかっていうとこう晴れやかになるっていう感じのメンバーだったので。そういう点ではもう話はしてて。こうおっ、あっ、なぁ、すごい言い方変かもしれない、楽しかったですね。