ガス販売をはじめとした荒川七衛商店は昭和6年に創業、現在で荒川元一さんは三代目となります。会社は津波にのまれてしまい、荒川さん自身も波に巻き込まれてしまいました。その後、石巻被災企業復興支援がんばっぺ石巻に加わり、石巻の現状を世界へ発信するマガジン「Rolling Press(ローリングプレス)」を創刊。国内と海外へ発信していきたい強い思い、復興への思い、そして震災で気づかされた人との繋がりについて話してくれました。
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地震が起きて、ええ、その後自分も事業所の中を確認して、でまあ大津波警報だとラジオ聞かせて、大津波警報が来てるってんで、事業所からその撤去させた後になんで私が一人残ったかと、やはりあの、人の命は尊いものだってのをやっぱり身にしみて学んでいた事だったので。まあ最後は自分の命が亡くなっててもやっぱり守らなきゃいけない。仮に、た、例えばあの、従業員が亡くなってしまって私が逃げて助かってたらやっぱりあの、社会が周りがどう批判しようと自分が一番いや、嫌だろうなと。だからそれで残って確認しようと思ったのが結局自分はまあ助かりましたけど、危ない思いをした訳ですよ。でもそれは今になって見ると、やっぱりそういう運命でその後に、の活動てか生き方に私があの、生かして生きてかないといけないんだろうなと思ったんです。
でそん時は今まで日本の国としてはそういう災害が、自然災害があった場合に個々の事業所に支援をするっていうスキーマは何もありません。ただ今回は甚大な災害なんで何か国にね、あの訴えて、何か考える、考えたいと思いますっていう話を受けて私たちもそれ是非、その、雇用をこれからあの、喪失守るためにもそういうかた、何か支援をいただきたいっていうような事を陳情したんですね。でその一ヶ月後に4月の半ばぐらいに声がまた掛かって。で、実際にはどうだったのって聞いたら、いやあ現状では新しいスキーマない。ただその、あるとしたらその、国からのあの、緊急的な融資で、近隣が安いものだったら借りるできるよっていうスキーマしかないと。でその、えーそのやったのは古藤野っていう方と松本さんっていうのがあのう、声かけて、いやそうじゃなくて自分たちでやっぱ立たなきゃダメだから、と言っても個々じゃ無理だから集まろうってことで、確か、5月だったと思うんですけども。そこで、元気、石巻元気、被災企業元気復興委員会っていうのを作ろうって事で。
私、青年会議所ってのは40までで、私は37で初めて3年間しか所属してなかったんだけど。あのまぁ社会に奉仕して、仲間をつくっ、大事にして明るい未来を作りましょうみたいな信条を、3信条ってのをあげてて活動してるんですけど。まぁボランティア的な団体ですよね。でそういうのでまぁ、なんとか町おこしをしようとか社会を良くしようっていう志を持つようにこう集められ。持って集まるんじゃなくて持つようにこう勉強してから入らないみたいな誘われて。僕も最初は断ってたけど、たまたまあの、私のあのう同級生があのうその代表になるからってんで強く引っ張られて、じゃ3年間だけだけどやってみっかっていうような感じでね。そん中でその松本さんなり、ええ今朝会った山形くんなり知り合って。ええまぁいろんな、腹を割って話せる、いろんな事を。まぁ政治の事とか、あの宗教の事とか仕事の事とか業界の事とか。もう業界違くてもこういう、こうなんだ、とんでもねぇなぁとか困ったもんだなぁとかっていう、実はこうなんだよみたいな話を腹割ってさぁ、あのう話せる仲間が何人かいて。まぁそういうのしてから声が掛かってあの、陳情に行くよってのがあの声掛かったんで。多分その団体とかそういう仲間がいなかったら私も孤立してて途方に暮れてていたと思うんです。