上野 ヒデ

上野さんは婦人会を引っぱっていて、とてもアクティブに復興という課題に向き合っている女性でした。ここまでアクティブに町やコミュニティーと関われるようになったのも実は最近なのだそう。
「本当あの当時はね、自分の名前も書けなかったし。人の話も聞けなかったしね。」

上野さんの提案で実行にうつされた、新しい献花台についてお聞きしました。

「みんなの善意でできたもんだから。そういう事であの、仏具なんかも仏具屋さんが、いいよ、って提供してもらってね。ね、そういうみんなの善意を無にしたくないからね。ここにあの「献花台を見守る会」を結成して、そしていつでも花がね、周りに咲いてるようにしよっていうね今その準備をしてるの。
であの今あの、植えてあるあのひまわりはね、これよその献花台からひまわりの種を植えて。ちょうどお盆の頃に咲くようにね、やってます。でそれが終わったら次はこの花を植える。ゆ、あの、冬はじゃ何をって、じゃハボタンがいいよ、って。だ花をきらさないようにあれはいつでも、冬でもね咲いてる花を植えようって今ね、やってんだけどね。みんながね、あの、段々この。まあ町がこうなってるからみんな防災のあれは分かってんだろうけども、町が出来上がった時みんな忘れます。忘れますよ。私はあの、チリ地震も知ってるの、津波も。もうね、3年経ったらみんな忘れてたからね。うん。だ忘れないようにあそこの役場の庁舎を残して、あの、お勉強の場にして欲しいって私が」